立命館大学メディア芸術研究会

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いわゆる「オタ芸」の禁止騒動とファン活動の変化

代表のznです。
久しぶりに適当なことを書きます。

榊原ゆい「私が出演するステージではオタ芸は禁止」
http://blog.goo.ne.jp/yui-nyan_lt/e/fdc1db11a048dc825386f4dd38b43bdf
BRAINSTORM様より)

榊原ゆいさんという、ゲームの主題歌や声優で有名な方がおられるのですが、
その人が自身のライブでいわゆる「オタ芸」と呼ばれるものを自粛するようにファンに求めています。

このニュースに対する各所の反応を見ているうちに、ファン活動というものが「作品・商品(声優や歌手も含めて)に対する愛の表現」から「自己表現」に変化してきた、という事実を改めて認識させられたので、ちょっと書くことにしました。
注)オタ芸とは
<以下Wikipedia当該ページより引用>
オタ芸(オタげい)とは、アイドルのコンサートや路上パフォーマンスにおいて、一部のオタクが行う、独特の掛け声や派手な動きを伴なう踊りのことである。オタクをヲタクと表記することから、「ヲタ芸」と表記されることもある。また、踊りそのものではなく、特定ファンによく見られる特徴的な行動に対し、揶揄やジョーク(時には敬意)を込めて、「オタ芸」としての呼称をつけることもある(#オタ芸用語を参照)。アイドルが歌唱の中で行なう振りと同一である事もある。
</引用終り>

さて。
地がたくましい性格の人が多いという声優・ゲーソン/アニソン歌手の中でも榊原さんという人はかなり物事をはっきり言うタイプの人で、ラジオなんかでもなかなか面白い発言をする人ですよね。強い女性像というのをかなりキャラクターとして意識されてるようです。
(ゲーム「ユグドラ・ユニオン」の企画ラジオで中原麻衣さんと共演されてた時は特に面白かった)
その榊原さんがラジオの中で急に「モツ鍋食べたい!」とか言い出すだけでなく、「オタ芸」というものに対しての態度をはっきり表明されたのは、いやはや本人のキャラというか、なんというか。

友人が大ファンなせいで、この人については十数曲聞かされた程度の私ですが、
個人的にはこの自粛要請に賛成するところ大です。

というのも、今まで私の脳内でモヤモヤとしていた、作品に対する受け手側の態度の急激な変化についての違和感を、禁止の理由としてバッサリ述べられているからです。

<以下上記ブログから引用>
何年も前から言っている通り、
ステージをろくに見ずに勝手に激しい動きをして達成感を得て帰る・・・
というのは、本当に自己満足以外の何ものでもないと思います。

</引用終り>

ライブという作品を作り手(歌手)が提供し、
それを受け手(観客)が消費するという構造の中で、
ここで榊原さんが指摘したのは「実は受け手が作品を消費していない」ということでした。

このことは大きな問題です。
本来、作品とは受け手が消費するためにあるものであり、それを受け手が消費していないのは異常な事態だからです。

この問題について、ひとまず今回の件という具体性はスポイルしつつも思考材料として、いろいろ考えてみました。(ですから、「榊原さんはこう思っているのだろう」みたいなものではありません。自分の勝手な放言です。)


<問題提起>
*受け手が消費しない事態 - なぜこんなことになったのか


ライブという作品が本来予定している消費行動は「聴く・見る」ということであることは明らかですが、全員が整然と座って歌手の歌を聞いているライブなどというのは見たことがありません(もともと出不精なのでライブなんか殆ど行ったことないですが)。
リズムにあわせて手を叩いたり、歌手の促しに応じて一緒に歌ったりする光景は、どこのライブでも見られるものです。つまり応援です。

この応援という行動とはつまり「作品への評価」ですが、不評を伝える表現というものはないので極端かつ恥ずかしい言い方で言ってしまうと「作品への愛」を伝える行為になります。ライブにおいて応援するという行為は、そのライブという作品への愛の伝達行為であり、歌手や声優の場合はとりわけライブを作っている作り手への愛の伝達行為であるのです。

この応援という行為を通じて、ひとつの作品、ひとつの作り手に多数のラブコールが集まることになると、応援を送る人々のコミュニティが出来上がり、場合によっては競争を始めることになります。
この現象こそが人間の不思議な一面で、人は「作品に対する愛が劣っている」と言われると悔しく不快に思うようです。作品に対する愛とは、別の言い方をすれば依存に他ならないのに、依存性を深めることに熱中します。
(これはおそらく、「より作品に依存する」=「より作品に没頭する」=「より作品を消費する」という発想から来ていると思われます。また逆に、より消費することによって愛を深めたと確信することもよく思い当たりますね)

他のファンとの「応援競争」の結果、より「愛を伝える」と思われる行動が発明され、ライブにおける応援行動はより大規模なものを受け入れるようになります。リノリウムのようなものから、ポンポンを持ち出す人も見かけますね。
競争の勝者とも言うべき人々がいわゆる「親衛隊」です。自分たちは最も作品や作り手に愛を注いでいると確信している彼らは、それをプライドにします。他のファンの応援をリードし教授する形で貢献することもあれば、他のファンを見下し拒絶するために(作り手にとっての)害になることもあります。


この「愛を伝える」という応援行動が、それとは逆の「消費していない」という事態を引き起こした原因は何でしょうか。別の言い方をすれば、「熱心なファン」から「非消費者」への大きな断絶とは何でしょうか。


A.プロシューマ化からプロデューサー化
プロシューマとは、コンシューマ(消費者)とプロデューサー(生産者)を合わせた言葉で、作り手の側に参画している(またはしたいと欲している)消費者のことです。
私が考えるのは、彼らの「愛の伝達」が「愛の表現」としての巧妙さ、規模を増すにつれて一種の「創作作業」と化し、結果としてプロシューマとしての意識が彼らに目覚めたのではないかということです。
つまり、「このライブ・歌手が好き」という意識が、「いかに好きであることを表現するか」という悩みを経て、「俺はこの表現を創造している」、進んで「俺たちしかこの表現を創造できない」というプライドを持つにいたり、表現者としての意識が芽生えたということです。

さらにもうひとつ指摘したいことですが、最近プロシューマ-だった人たちが消費者としての立場を完全に脱して、プロデューサー化しているシーンが多々見受けられます。

例えばある作品に対しての「愛の表現」であった二次創作の同人誌作家が、「他人の愛の表現=ライバル同人誌」の登場にあたって、作家色を求め、表現者としての自己を確立させる。そして最後には二次創作ながら全く毛色の違う別の作品世界を成立させるという流れはどこでも見られますよね。同じことがライブでも起こったのではないでしょうか。

プロデューサーと化した観客はもはやコンシューマーではないですから、つまりライブという作品を消費していないわけです。単なる自己表現者ともいえます。

B.動画配信とパフォーマンス、コメント機能
また、プロシューマ-がプロデューサー化する経緯において、最近の動画配信が重要な役割を果たしたと考えられます。
YouTubeやニコニコ動画のように、自分のパフォーマンスを動画で発表できる場というのは、全世界の「愛の表現」を集約した場になっており、競争や表現を進行させる触媒としての効果を持っています。
ここで言うパフォーマンスとは、「ハレ晴レユカイ」以降のアニメソングにあわせて踊るダンスのことですが、思い返せばそれらのパフォーマンスはかなり初期の段階から二次創作的なファン活動としての域を脱していました。
それぞれのパフォーマンスに対してコメントがつけられることが、その原因になったと思います。二次創作だけを消費し評価するという行為はもともと同人業界が拡大した頃から発生していたと思いますが、元の作品ではなくパフォーマンスに優劣を与えるコメントの機能は、かなりパフォーマンスの激化と表現活動化を招いたと思われます。

C.ライブの演劇性
このような事態を招いたより本質的な原因のひとつとして、ライブは演奏会より演劇に近いということも挙げられるでしょう。演劇論では観客も舞台の一部というアイデアについての諸々が述べられていることが多いですし、花道のようなシステムはまさにその典型と言えるでしょう。ほとんどのライブも観客との一体化を目指す方向にあると思います。第三者としてCDを聴いていたファンが、その音楽が創作される場に立会い、さらに応援や協力を作り手からも要求され、作品の中に消費者が入り込んでいく、まるでメタフィクション小説がもたらすような独特の感覚がライブの特徴ではないでしょうか。
そういう意味で、ライブとはもともと観客にプロシューマ化を要求している場とも言えます。その分、プロシューマが非コンシューマ化してしまうという本末転倒までの距離は近いとも言えるでしょう。
このことを裏返せば、なぜ受け手が作品を消費しないことが作り手にとって我慢ならないのかも理解できます。
観客にプロシューマたるべきと要求している作り手(歌手)は、当然ながらライブという作品を作るためにそれを要求しているわけです。そこで作り手が予定しているプロシューマ-像は、共同創作者としての観客であり、同じ「ライブを作り上げる」という目的を目指していることが前提となります。
観客がライブを見ないでオタ芸をやっている状況というのは、言ってみればゲーム製作のような集団で創作をしている場で、企画にそぐわない勝手なことをやっているスタッフが存在しているようなものです。それは物理的な意味だけではなく迷惑だと感じ取られることでしょう。

D.オタクのアイデンティティ化
まったく違う方向からの話になりますが、昨今各所で語られる「気が付いたらオタク」から「オタクになりたい」への奇妙な変化とも関わりがないとは思えません。「オタクになりたい」という衝動は、つまり「オタク」をアイデンティティとしたいということであり、そのために彼らは「オタク的行動」を行います。彼らの「オタク的行動」は自己を特徴づけるものとなりますが、ここで「オタク=特定の作品を極端に愛する人」という定義が形骸化された、自己存在の表現のためだけの「オタク的行動」が顕れます。この現象がなぜ起こるのかよく考えているのですが、うまく言葉にまとまりません。「特定の作品を極端に愛する」という行動は地味で、アイデンティティとしての「オタク」を早急に身に付けたい人々にとっては量も質も足りないので、表面を掬い取って過激化した行動に走るのかな、とは思うのですが、偏見のような気もします。

E.TVの影響
Dも含めて、「オタクとはこういうものだ」という紹介をしてきたTVの役割にも言及すべきだと気づきました。いわゆるマスコミ弊害論や、TV番組の質の劣化についてとやかく言うのが目的ではなく、TVという媒体の避けられない特性から影響を考えるのが目的です。
映像関係の製作者がよく「絵にならない」という言葉を使いますが、TV放送とは絵の連続体と音声によって構成されており、かつ人間の受け取る情報量としては映像のほうが圧倒的に多いために、TVという媒体は必然的に映像を重視しなければいけません。つまり、よいTV番組とはよい映像を納めた番組のことであり、よい報道番組やバラエティ番組は、真実を伝えるというマスメディアの責任とは別に、視聴者の関心をひく映像を提供しなければなりません。
一人の平凡な人間が、部屋でひたすら声優のCDを聴いている絵は、あまり「絵になる」とはいえません。特殊な映像ですが衝撃的ではないでしょう。それに比べ、大人数の観客が同じポーズを取って、それも過激にハデに踊っている様はとても絵になります。これはコスプレやメイド喫茶でも同じことが言えます。
「オタク」といえば、コスプレにメイド喫茶、路上パフォーマンス、そしてオタ芸というイメージが、電波という強力な情報伝播手段によって紹介されている現状に違和感を覚える人は多いと思いますが、私がそれが100%スタッフの偏見や悪意に基づくバッシングだとは思えません。TVという媒体で作ることを強制させられている人々が選ぶ方法としては、当然のように思えます。
ただひとつ危惧するのは、TV番組は「オタク」を紹介する役割から、まるで定義する役割のようになっていくのではないのかということです。TV番組の紹介を入り口に「オタク」になった人が、「自分こそがオタクである」という意識のもと、アニメやマンガやゲームなどの本来の消費法を否定しはじめる将来が来なければ良いのですが。

長々と書きすぎてアレになっていますが、ここらへんの理由が思い浮かびました。

ほんと長文ですね…である調で書けば良かったかもしれません。

念のため断っておきますが、「オタ芸」と「非消費者的な自己表現行動」は必ずしも一致しないようです。多くの「オタ芸」を行うファンが今回の事件について言っていることですが、分からなくはありません。どこからが「非消費者的」かは、個々人の胸に訊いてみるしかないことだからです。
分からなくはない、という微妙な言い方をしたのは、その一方でそもそも物理的に場所を取る高度で大規模な応援をオタ芸と呼ぶのなら、その時点で作品(ライブ)の完成を阻害しているのではないか、という気もするからです。

とりあえず、オタ芸だの何だのに関係なく、「本当に私はその作品を愛しているのか」について真剣に各人が考える時代に入ったと思います。

作品を愛することをやめ、いち表現者としての立場に立ちたいということも、大いなる発展だと思います。ただし、立つ鳥後を濁さず、ということわざのようにうまく脱消費者化してほしいものです。表現者となった人は、消費者つまりお客ではなく、表現者としてはペーペーの新人で何の待遇も受けるべきではない存在になったのですから、よりマナーを守り、郷に従った態度で臨むのが紳士的と言えるのではないでしょうか。


ところで、なんで私個人が「オタ芸」自粛の意見に賛成なのかというと、すこし無責任なところがあります。実のところ、私自身は榊原さんのライブに行くことはかなりの確率で少ないと思うので、あまり自分自身には関わらない問題にすぎないからです。
しかし、この指摘の裏には、これまで述べてきたように、すべて媒体、ジャンルでの「作品に対する愛の崩壊現象」が垣間見えます。多重創作や原作を無視した二次創作をめぐる対立、原作をリスペクトするという価値観の原理主義化と形式化、架空の「大きな物語」を消費する時代への移行(by「動物化するポストモダン」)、「作品に対する知識」に必要性を感じないオタクの登場(「オタク・イズ・デッド」問題とも絡んできますね)などなど、いろいろなことを想起させます。
「私はオタクだ!」と宣言するような恥ずかしく愚かしい真似は到底できませんが、一応アニメやゲームやマンガについてよく知るという名目でサークルなどをやっている私としては、「作品に対する愛」というものは最も大きなテーマのひとつであり、重要なものだと思っています。

去年の学園祭で「○大でハルヒとか踊るんで、是非見に来てください」と言って去っていった見知らぬ女性の方を見て、「あの人は本当に『涼宮ハルヒの憂鬱』を好きなのだろうか」と疑問に思って以来、なにか文章でそのことを考えたいと思っていました。
今いろいろ吐き出しまくって、これでようやく寝られます。
最後まで読んでくださった方、ありがとございました。


もし皮肉なことがひとつあるとすれば、
私の言いたいことを全て言ってくれている作品がよりにもよって
非消費者化現象の代名詞みたいなあの作品ってことですね。
いや、僕も好きですよ?

まあいいや、今度こそ寝ます。それでは。









──「ひとえに愛だよ、愛!」
         泉こなた(らき☆すた)
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コメント

一年以上前の記事にコメントするのはいかなるものかと思い、少々躊躇しましたが、それでもこの胸中を言葉にしたいのでキーボードを叩きました。
オタ芸から見る昨今のオタクの傾向を鋭く分析しているようでとても面白い話だと思います。私も若い頃に同人活動をしていた身故に意を同じくするところ頗る多く、共感します。特に、作品愛の表現としての行為という閾値超えた、非常に非消費的な活動を行う嗜好人。彼らについての考察は私が今まで漠然と抱いていた疑問を具体化してくれました。非常に面白い意見だと思います。おかげさまで、非常に有意義な知的作業の一時を楽しむことができました。文才が皆無故、非常にまとまりが悪く杜撰な感想になってしまいましたが、お許しください。

  • 2009/07/11(土) 17:08:41 |
  • URL |
  • ヒゲ狩り隊 #8kSX63fM
  • [ 編集 ]

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  • 2009/07/16(木) 09:17:40 |
  • |
  • #
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  • 2009/07/16(木) 18:32:51 |
  • |
  • #
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オタ芸やる為にいろんな人のライブを回ってる人が結構いるみたいなんですよね。そういう人達っていうのは、応援競争というより、今回の氏の考察で言うとDタイプ、Eタイプの人なのかなぁ、と思いました。

  • 2009/07/16(木) 23:15:41 |
  • URL |
  • おかか #-
  • [ 編集 ]

面白いです

少し古いエントリーですが、某サイトからのリンクでこのエントリーに気づきました。
昔オタ芸打ってた者としては、なかなか面白い考察だと思いました。

私はちょうど、(E)で挙げられているようなTV等でたまに取り上げられるようになったころに
その取り上げられ方に違和感を覚えたことと、某アーティストのライブでオタ芸打つ以外のライブの楽しみ方を覚えたことでオタ芸を辞めました

あと主題である榊原さんの「禁止」騒動に関してはある程度「流れ」もあったんじゃないかと思っています。
当時のネットでのこの件に関しての評価では彼女の「勇気ある発言と行動」に言及する事が多かったですが
実はそれ以前でもオタ芸禁止をうたってるアニソン系歌手は何人かいました。
女性ボーカルでは無いので少し違うかもしれませんが、たとえばmilktabさんも榊原さんが禁止する以前から禁止していた気がします。
あとは実は、僕はこのアーティストのライブを見てオタ芸を辞めたのですが、アニメ主題歌とかをやっている妖精帝國さんは第一回のライブ(2006年)の時から公式HPでは、サイリウム、PPPHなどの行為の禁止をうたってましたし
ライブ中にボーカルの方がオタ芸をしている観客に注意する、というような一幕もあったとおもいます。(自分の知る限り、公式に「禁止」を宣言しているアニソン系アーティストは妖精帝國さんが初めてでした)
あとは、声優の森永理科さんのバンド「function code();」でもサイリウム含め禁止でした。(客層はやはりアニメファン層です)
こういう流れの中で、榊原さんが「禁止」を宣言し、それがさらに茅原さんにも繋がっていったのだと思います。

最近はアニソン系アーティストも単に「アニメの主題歌を歌う人」、にとどまらず独自の音楽性や世界を展開していく方が多いので
元来「アイドル系」のライブの楽しみ方の系統である「オタ芸」ではなく、より一般アーティストのライブ寄りの楽しみ方をするアニソン系アーティストのライブが
増えていくのではないかと思っています。

長文失礼いたしました。文章下手で済みません。

  • 2009/07/18(土) 22:10:18 |
  • URL |
  • 元オタ芸師 #mQop/nM.
  • [ 編集 ]

あまりに身勝手な「ライブの楽しみ方」が
まかり通らなくなってきたことに
オタ芸師さん達は何かを感じ取って欲しいものだと思います。

  • 2009/07/19(日) 00:45:33 |
  • URL |
  • 765 #-
  • [ 編集 ]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

  • 2009/07/19(日) 14:12:29 |
  • |
  • #
  • [ 編集 ]

確かに

最近のオタ芸は自己満足の塊みたいなのしかない気がします。
前に某ライブにいったときはスタンディングライブだったにもかかわらず一番前を陣取って周囲の人を押しのけてオタ芸を披露して、注意したら逆ギレしていました。
その人たちとその一週間後に別のライブでまた遭遇してしまい、
そのときも同じ芸をして、同じことをやっていました。
本人はただ騒ぎたいだけなんだろうなと実感してしまいました。

  • 2009/07/20(月) 03:47:38 |
  • URL |
  • とおりすがり #-
  • [ 編集 ]

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